ロシア国立ペルミバレエ学校 日本校 - ペルミ・ワガノワメソッドの正しい継承者育成を通してバレエ界発展のために・・・

ペルミ・ワガノワメソッドの正しい継承者育成を通してバレエ界発展のために・・・

Message—経緯
 

ロシア国立ペルミバレエ学校

ロシア国立名誉勲章ペルミバレエ学校は、1945年4月2日、第2次世界大戦中にレーニン勲章キーロフ記念レニングラード労働赤旗勲章ワガノワ記念アカデミーバレエ学校を母体として設立されました。 設立当初から長年にわたり、キーロフ劇場の元ソリストで、ワガノワの生徒であり信奉者である、教師のゲイデレイフ・エカテリーナ・ニコラエブナがペルミ・バレエ学校の芸術監督を務め、ワガノワ薫陶に続く多数の教師を育成しています。1973年からソ連およびロシア人民芸術の称号を持ち、グリンカ記念国家賞を受賞したロシア功労教師、ペルミ市およびペルミ州名誉住民のサハロワ・リュドミラ・パヴロブナが芸術監督を務め、現芸術監督は、日本校の芸術監督でもあるバレエマスター教師資格、ロシア連邦功労教師であるタルスツーヒン・ヴラジミール・ニコラエビッチです。また、現校長は、サスニナ・ダリア・ニコラエブナであり、本校の副校長、ゴーゴレバ・リリア・リボーブナは日本校の校長を兼任しています。

 

ロシア国立ペルミバレエ学校日本校開校の経緯と理念
 

1991年12月ソビエト連邦崩壊後、民主化されたロシアバレエ界は多くの日本人を留学生として受け入れてきました。これらの留学生は、日本にてワガノワメソッドの教育を受けてきたと称しているだけで、実際には、そのような指導教育を受けていないことは、一目瞭然とロシアバレエ学校の教師達は指摘しています。

日本のバレエ指導教育を調べると、日本語もまだ理解できないような年齢から、バレエ教師としての教育を受けていない指導者よりバレエを感覚的に教わるためバレエの基礎知識が抜けた踊りをする人が多く、いざ小学校の高学年や進路を考える時期には、小さいころから習い続けているスタジオでの癖がついてしまっている、またバレエについて基礎知識が十分でない事で、バレリーナへの道が閉ざされてしまっている人も少なくないことが分かって来ました。教師の基礎知識が薄いのは、日本ではバレエが伝承によって受け継がれて来たせいではないでしょうか。また、バレエ教師は、特に資格・知識も必要とされない事にも寄ると思います。将来のある子供たち、そして本物のバレエ知識、質の良い指導者確保のために、ワガノワメソッドにて指導を希望する教師には、<日本において系統的にメソッドを習得した教師の養成>が最も必要だと考え、2003年3月に、単独で、ロシア国立ペルミバレエ学校校長との面談を申し込み、日本に<バレエ教師養成学校設立>を訴えたのが始まりです。

ペルミバレエ学校は、サンクトペテルブルグのワガノワバレエ学校、モスクワのボリショイバレエ学校と並ぶロシアのバレエ教育の聖地としてその優れたバレエ教育は世界に広く知られています。このペルミバレエ学校は、第2次世界大戦後ワガノワの意志を継ぐバレエ教師たちによって設立され、地理的に、モスクワなどの中心都市から遠く離れていたため、いたずらにバレエ界の流行に染まることなく、ワガノワの教授法を最も純粋の形で継承し続けいる学校です。 ペルミバレエ学校校長は、日本のバレエ界がワガノワメソッドのバレエ教授法を学べる学校の誕生を長年待ち望んでいた事実を知り、ペルミ・ワガノワメソッドの教授法を提供する(教科書、教師、伴奏音楽)ことにより、日本のバレエ界の発展に寄与できるとの堅い信念を持つに至り、バレエ教師養成を目的とする日本校設立を決定したのです。

ロシア国立ペルミバレエ学校日本校の開校の理念とは、ワガノワメソッドの正しい継承者としてのバレエ教師の育成を通して、バレエ界の発展に努めると共に、日露両国のバレエ芸術の交流を深め、さらなる日露両国民のより深い相互理解に尽くすことです。 さらにペルミバレエ学校は、2006年11月にローザンヌバレエコンクールの指定校(パートナー校)に認定されています。